2005年10月22日 (土)

剣道とビジネス

 対戦型スポーツは、競技自体にビジネスと共通する教訓が内在しているからでしょうか、教材に引用されることがあります。競争企業と熾烈な闘いを日々繰り広げている状況に類似点が多いことから、真剣勝負する剣道が好んで引用されます。

 宮本武蔵は、絵画と書に人並みはずれた才能を発揮したことでよく知られています。達磨、孤鳥、自画像などの描写に漂う武蔵独特の気迫は日本画の傑作に列していますし、五輪の書は剣道を志す者の聖典になっています。しかし、反時計回りに描く達磨の描順から判断すると、武蔵は生来の左利きであった筈ですが、自画像に見る限り、右手に長刀を左手に短刀を持つ典型的な右利きの構えを造っていますので、対戦相手を巧妙に欺いて、結果的に生涯を通し全勝できた理由に違いないと推察できます。将に"能ある鷹は爪を隠す"です。

 構えの譬に、観見の"遠目の目付"があります。遠くの山を見る如く、対戦相手の全体を把握する大切さと、一箇所を注視する危険を説いたものです。例えば、小手を狙うことを視線から察知されずに、意表を突いた相手攻撃に素早く反応できるからです。試合対戦中の選手の足運びを、少し離れた傍らで見ていると、両者の巧拙、技量を容易に判別できますのは、この見方に相通じています。高段者ほどゆったりと歩むように進むのに対して、忙しなく動き回るのは専ら技量に劣る側なのです。俗に言う"岡目八目"の俯瞰の判断です。

 これは明治期に実際に起きた事件なのですが、何かの弾みで剣道場の師範と植木職人が決闘することになりまして、師範は木刀で職人は真剣のハンデで対峙し試合をしたところ、結果は意外にも師範が負けて死亡してしまいました。立会い早々、師範は職人め掛けて木刀を振り下ろしたところ、定型の真剣で受け止めることなく職人は首をひょいと曲げて避けたため肩に強かに当たっただけで、思わず繰り出した職人の真剣に師範はいとも容易に刺し殺されてしまったからでした。

 黒澤明監督の映画で、例えば侍と博打打の乱闘場面を思い浮かべられると理解し易いのですが、竹刀習得の剣法と、白刃の下で命がけで体得した博徒の"ヤットウ"剣法の違いに相通じる教訓が、そこに存在していると思います。竹刀剣道は打ち込まれても直ぐにまた生き返るバーチャル剣法であるので、心の隅に命に対する甘さが無意識に残ります。また、先達が開発し伝えた効率的な型の修得に日夜励んでいると、日本舞踊のような「きれいな技」が自然に身に付き慣れますので、型に無い太刀捌きに遭遇すると、たちまちに対処不能に陥って立ち往生し、負けてしまうのです。

 この型修得の弊害の反省からでしょうか、江戸期の太平剣法にもルネッサンス的な動きがあったようで、例えば示現流は"八方破れ"に構えますから、小野派一刀流の侍が正眼に構え、示現流の"異型な"構えの者と初対峙したときの驚きと恐怖は、さぞかし大きかったに違いないと推察できます。反射神経を只管に定型で鍛錬したことの危うさ、落とし穴と言えます。

 敷衍すれば、教科書学習の弱点もこの辺にありそうです。つまり守・破・離のプロセスを進めることの困難さです。人類のエポックメーキングな業績がしばしばアウトサイダー所属の個性的な独学者や独習者によって達成された理由も、この辺りに真因が存在するのかも知れません。

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