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2005年10月18日 (火)

詩人になるとき

 正確に出典は憶えていませんが、恐らく筑摩書房刊「外国人の見た日本」1~2巻か、あるいは講談社文庫「亡命ロシア人の見た明治維新」の辺りにあったように思います。江戸期末期に日本に漂着し囚われの身となったロシア人と、取調べの武士が詩作について交わした短い記録なのですが、詩作は学習によって可能とする武士の主張に対して、才能の前提が必須と説くロシア人が反論する内容でした。当時のロシア人が抱く詩作常識がどの様なものであったかは知る由もありませんが、当時の日本人共有の詩作イメージは、間違いなく韻律調の漢詩でありましたから、詩作といえば、中国古典から多数の漢籍を学び、漢詩の約束事を踏襲して行なう漢詩作りであると理解すれば、漢文が既に半ば日本語化していたとは言え、紛れもなく外国語の作詩に共通の前提として、充分な学習と習作は当然なことでした。現代に敷衍しても、外国語の作詩において、武士の主張は正しいと言えます。ロシア人と武士両者の意識を推測すると、和歌や俳句など日本が誇る国有文化を詩とは自覚せず、相手に知識されていなかったところに、議論がすれ違う不幸の原因があったと解釈できます。

 しかし、普通の人でも特別な状況下に置かれると、詩人になれる場合があります。泥棒詩人として著名な仏詩人のフランシス・ビヨン〔F.Villon〕は緊張感漂う"仕事"を為しつつ傑作を生み出し続けました。乃木将軍は、子息二人と多数の部下を戦死させてやっと勝利し、悔悟と悲惨の戦場で作詩した傑作の紫禁城外斜陽の漢詩を作詩しました。このように極限状態に追い込まれると、巧拙は別として、人は極く自然に詩人になれます。時世の句に傑作が多い理由と共通しています。職業的、天才的な詩人とは、つまるところ、このクリティカルな作詩環境に自らを常置できる優れた能力の持ち主たちではないでしょうか。個人が特別な状況下に置かれる日常経験とは、例えば突然の"病気・入院"があります。平和で安定した日常状態から、唐突に明日をも断たれる恐怖と不安に措かれ、激しい心の動揺、混乱、ときに錯乱の入り混じったプロセスを経て、やがて終局の穏やかで平和な境地へ辿り着くのですが、この過程の中で詩人になれるときがあるのです。

 50歳のとき、突然の癌発見と摘出手術のため癌専門病院の病棟の、検査ベットを含め8人の入院患者を収容する2階の角部屋に、緊急入院しました。結果的に病態が比較的良好、軽度だったこともあって生存できたのですが、入院中起居を共にした約20人の仲間は1年を経ず殆どが亡くなられたことを後日なって知り、記憶の悲しみで一杯になりました。入院当初は人生時間が突然にストップしたようで、言い知れぬ不安、悔悟、反省を止めどなく繰り返し回顧する毎日でしたが、少し環境に慣れて来ると、手馴れたビジネスノートに代え、程なく病室の観察日記を付け始めました。その余白に、次の短い詩作が残されています。

  希望は絶望の夜明け/幸福は辛苦の彼岸/成果は犠牲の果実/収支は均衡することなし

 記憶は無いのですが、退院間近の頁に記載されてありますので、恐らくある種の覚悟ができた頃の作であるように思います。言葉の選択に稚拙さはありますが、当時の心境を想起すると感慨深いものがあります。

 ところで、恐らく仏籍にある著名な方の詩作と確信しているのですが、ぜひ出典を教えて頂きたい次の詩文があります。同世代と想像される著者の立場に想いを馳せてみる愉しみが、この詩文鑑賞にはあります。

 雲は山に帰り、鳥は巣に帰る/人は勤めを終えて家に帰り、生涯の仕事を終えて故郷に帰る/子を育てて親の懐に帰り、乱れた心は本心に立ち帰る/帰家穏座

 穏やかな心境に在る著者に、言い知れぬ親しみと安らぎを感じることができて、秀逸です。人生の様々な苦難を乗り越えて初めて到達できた、この様な心境に何れの日にか達せるよう、望っています。

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