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2005年9月24日 (土)

尊敬について

 レオナルド・ダ・ビンチは医学から絵画、土木建築など実に広範な分野に秀でた業績を残し、当代の「完人」と尊称されたほどの偉人でしたが、現在この称号が完全死語化したように、一人の人間がかくも広範で複雑な多岐の分野に頭角を現すことは到底不可能でしょう。現代は、専門化へ向かって加速・深化する中で、得意とする狭い分野やニッチ領域に安息地を見出し特化せざるを得ないからで、学際は勢い細かい櫛の歯状に縦割構成されることになります。そのような背景において、なお世間の業績評価は、狭く選択された領域に限定されることなく、全人格的な評価を求めて、全てレベル以上の高邁さを備えていることを当然であるかのように要求しますが、これは人間の本質を誤解しています。

 アインシュタインの不滅な輝かしい業績に対し、生涯趣味にしていたバイオリン演奏や不可解な家庭生活に同様の評価と期待を抱くとすれば、明らかに間違っているのみならず、本人にとっても甚だ迷惑なことであります。ロシア生まれで戦前大活躍した著名ピアニストのホロビッツに対し、90歳近くになって初来日した演奏から「壊れた骨董品である」と評した音楽評論家がいましたが、これは時間差無視の評価であって正しくありません。同様にホロビッツにもピアノ演奏以外の教養や私生活において、あまり芳しくない評価がありました。常識を超えた特定分野の偉業績の蔭にある常識以下の広い生活領域が、天才の周囲にも存在するということを率直に認めてやるべきですし、過去の業績を現在から遡及評価しようとすることに本質的に無理があると思われるからです。偉業績と認められる特異点の時点と近傍にのみ限定されて、評価し尊敬されるべきなのです。

 従って、平凡な一般人においてさえ、生涯にわたって尊敬に値する例があり得ます。高校の同級生でしたが、参考書の借用を申し出たときでした。「返却してくれるなら貸すよ」との返答に、「何故そんなことを言うのか」と半ば侮辱された想いで尋ねましたところ、「貸してから返却を催促するのはいやなので、貸す前にいつも言うことにしているんだ」との率直な回答に感激し、以来座右の銘にしていますが、いつも尊敬をもって同君を思い出しています。そのような理由から日常的に、たとえどのような身分、地位、職位の人であれ、優れて尊敬に値する部分が人には必ずある筈との確信を持つように自戒しています。どうしても見出せないときは、それを検知できない当方の無能さに理由があると考えるようにしています。最早や「完人」は存在しませんが、何人も未知領域においては「未完人」であることを決して忘れるべきではないと思います。

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2005年9月23日 (金)

失敗することの意義

 この世の中で、成功より遥かに多数の失敗が日々生起しているにも係わらず、失敗は顕在することなく密かに葬り去られ、速やかに忘却されることのみを只管願うがために、輝かしい成功事例の華やかさに幻惑され、在るに違いないと信じて成功の秘密の鍵を追い求めて止まないのだと思います。昨今になって漸く「失敗学」が提唱され広く認知されるようになりましたが、未だ多くの分野で、相変わらず失敗原因の追求に主眼が置かれた評価が幅を利かせていて、失敗することの意義を未だ充分には議論されていません。

 ここで言う失敗とは、失敗する筈がないと確信される程に、必要な準備と入念な調査が事前に行なわれた真面目な計画の結果に対する評価であって、半ばいい加減なプランと粗雑な手続きのままに試行したことの結果の評価ではありません。真剣に対峙したことによって、それと自覚されるまで失敗ではないし、たとえ当初の目標に対し成功しなかったとしても、目標以外の事象で多数の小さな成功を手中にしていることに早晩気付く筈です。なにより、当座は失敗と判定されても、日時の経過と環境変化によって、成功と再評価される事例をよく経験します。ノーベル賞受賞でご存知の白川教授による導電性プスティックの発明は、いわば失敗の贈物でありました。

 失敗によって、自信に満ちていた核心部分を見直し、他人の意見に真剣に耳を傾け、文献や書籍を再調査し、専門家に審らかに問い、同輩と議論することで、客観的な見方を進んで取り入れるようになりますから、確率を高めて成功に向かう助走路へ再び就いたことを意味します。

 洋の東西を問わず聖職者は、世の中に生起し存在する清濁、善悪、美醜を知悉する資質が理想であるとされます。若くして出家し、所要の苦行を行なってなった聖職者は、舞姫の教導僧よろしく、老いて俗世の誘惑に「転び」易いものですが、天台宗法主の今東光老師のように、放蕩三昧の末に出家穏座すると、全てを知る安堵があります。成功も全く同様でして、失敗の肥沃な土壌に咲く大輪の花にたとえることができると思います。そして、失敗の意義を再確認できたならば、勇んで再挑戦しようではありませんか。

 

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2005年9月21日 (水)

幼児期の別離

 春秋恒例の移動の季節がまた巡ってきました。親の転勤は、一方で幼い子供に別離の辛さを経験させます。  一緒に遊んだ友だちや、親身になって育ててくれた祖父母たちと別れる悲しみ、移転先の漠然とした不安を抱く子供に対して、親たちは想い遣る余裕すらなく、眼前の煩雑な移転作業と業務引継ぎで頭が一杯で、子供の心の変化に気付かず、見過ごしてしまうようです。もうすぐ3歳になる男児を持つ長男の家庭と、同齢の女児のいる次男の家庭が近々転居することを知り、同じ年齢の長男との体験を反省を込め想い出しています。

 初孫の長男は出産から3歳になる2ヶ月前まで、都内にある祖父母〔家内の両親〕家に隣接したアパートに家族寄り添って住んでいましたが、日本社会が高度成長期に向かって漸く離陸しようとしている昭和45年になると、残業も増え職住接近の必要に迫られて、職場のある埼玉へ移転することにしました。祖父母は当時40代半ばと50代そこそこの若さでしたが、戦中戦後の苦難の時代を東北と都内を転々とする生活のもと、実子2人の育児は理想に程遠い状況にあったことの反省が背景理由にあったと思いますが、初孫の長男をまるで我が子のように熱心に育ててくれました。歩き始めてから日課の散歩は言うに及ばず、勤務留守中の昼食はいつも祖父母と一緒でしたし、帰宅の遅い父親に代わって入浴は祖父が担当してくれていました。2歳を過ぎると、祖父の小旅行に一緒することも多くなりまして、笑顔一杯でさも楽しそうな祖父と孫のツーショットが残っています。

 引越しの当日は、祖父母の愁嘆の涙と「何故、可愛い孫を連れて行ってしまうんだ」の恨み言葉に、「電車で1時間はかからないので何度も来ますから」と慰めるのが精一杯でした。転居先の新生活は、祖父母に任せていた分を併せ両親が分担しましたが、3歳の幼児が自然に獲得した順応性に大いに助けられました。

 忘れられない親子の絆を再考させてくれる場面がありました。遅く帰宅しても日課の入浴は父親が担当しました。胡坐に仰向けに乗せ、湯水が耳に入らないよう、左手で頭を支えて両耳をしっかり塞ぎ、湯を含んだスポンジを絞るようにして優しく頭を洗いましたので、自然と親子が上下に対面する形になりました。生まれてよりずっと祖父と一緒に入浴していた楽しい日々を想起している筈なのに、互いに触れないよう示し合わせているかのように、二人の間の緊張感を何とかして緩和したい幼い精一杯の想いからなのでしょうか、眼前の父親の胸に隆起した鎖骨を指差して「パパ、これなあに?」と尋ね、「骨だよ」と答える無意味な会話を繰り返していました。

 この1年後に、3年保育で入園したばかりの幼稚園を中退させ、次男が誕生して四人家族になっていましたが、再び一家で仙台に赴任することになりました。いつも親たちの都合によって、無抵抗な犠牲者となるのですが、このときも幼児の心裡に想いを馳せる配慮や努力は確かに足りなかったと反省しています。

 社会背景として、在学中に起きた激しい第一次安保騒動で殆ど授業のない状態のまま卒業したため、60年代の数年間は、いわば日本の「文化大革命」状態の暗黒時期に相当し、勉強をまるでしないままに多くの卒業生が送り出されることになりました。その一人として再勉学の渇望を持ち続けていましたので、手段を尽くしてS研究室所属の研究生として機会を得ると、万難を排し赴任することにしました。70年代になっていましたが、さすがの安保騒動も終息寸前にあって、赴任して間もなくの6月のある朝、活動家の農学部生が絶望のすえ焼身自殺する事件が大学本部前で起きたのを記憶しています。未だ混乱の余韻が随所に残る発展途上の、しかし活気のある社会でした。

 子供たちはこの後も、折角親しくなった友だちや、優しい祖父母たとも別れて、知らない土地への転居を繰り返しましたので、親子の間に意思の疎通を巡るある種の葛藤が生まれたように思います。幼児期のことと侮ることのできない深い心理作用なのでしょうが、不信感にも似たある種の感情の発露ではなかったかと思います。幼児ゆえに当座は理解されなくても、よく説明しもっと意を尽くして伝えるべきではなかったのかと回顧しています。

 この時の長男と3歳になる男児からなる家族3人は、まもなく2年間の滞欧を終え帰任することになっていますし、次男と間もなく3歳になる女児の家族3人は近日中に隣県へ転居します。子育ての小史は、親子代々綿々と繰り返され、これからも継続されていくわけですが、幼児の心理にもっと心暖かな想いを注ぎ、心配りする親の努力を切に願ってやみません。 

   

 

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2005年9月 7日 (水)

教育と社会

 社会と家庭が貧しいと、子供の手助けは当然で疑問に思うこともなく、家族全員のチームワークで家業を助ける姿がごく普通に目にする日本の庶民風景でした。戦後社会の激変と少子化から、巨大スーパーの出現に代表される商業分野の集約と寡占が進むと、廃業しサラリーマンに転身すると、子供に対する教育と両親の期待もまた大きく変化しました。ごく普通に存在した、親の後姿を見て育てる家庭内OJTは殆ど姿を消し、子供部屋でひとりゲームに興じ、携帯メールを操る子供に親が期待したのは、バブル期までは出世コースに乗ることであったのに、今はせめて非行に走らないで、できれば個性的なタレントに、可能ならばIT社長にと願うようになったのは、そもそも親自身が子供の教育をどうすればよいのか正しく判断できず、方向を見失って思考が拡散し、混迷していることに原因があるようです。

 中国の一人っ子政策は、毛沢東の失政によって生じた人口圧力に悩んだ末に採られた苦肉の国策なのですが、出生統計に表れた男女出生率のアンバランスと高齢化の進展が新たな課題として注目されています。正常な男女出生率は1.06とされおり、男児の出生が僅かに高い理由として、真偽のほどは知る由もありませんが、有史以来繰り返されてきた戦闘で死亡する男子の数を生物学的に補なおうとしているという俗説があります。最近発表された中国統計資料〔吉林大〕によると、男女出生比率は1.18になっていて、明らかに儒教的な男子優先の恣意的な意思が強く働いた結果であると推測できます。

 教育は、社会文化の向上という効果を確認するまで、一世代(30年間)相当のタイムラグを必要とするので、将来の国の文化レベルを決める重要施策であるにも係わらず、効果の見えにくい非効率な学校システムの上に乗って、ある種の社会慣行であるかのように、学校教育を中心に行なってきました。例えば「ゆとり教育」は最近になって文科省が渋々見直しに同意しましたが、文教行政の中で単純明快なこのような制度変更ですら、昭和52年〔1977〕スタートから実に28年を経過した今頃になってやっと見直される始末です。学校教育は国民の全てが参加する基幹システムであるのに、効果確認まで約30年のタイムラグを介在しなければならないために、この間に起きた社会環境の変化と当事者の交代が、当初の理念と実際の効果の検証を不十分なままに、何時までも迷走し続け、ときに回帰して、まるで波動が納まらないような不安定な状況を生み出しています。

 豊かな社会は、人々の勤労意欲、向学心、道徳観などに強い影響を与え、望ましくない方向の反作用を受けるようになりますので、衣食足りて礼節を知るようには、必ずしも社会は正しく反応し動かないことを、既に多くの事件の検証を通して周知しています。例えば、戦前教育の影響を受け家父長の大家族を体験して育った親が、豊かな社会の洗礼を受けた戦後教育の少子化の子供を、果たして"正しく"導くことができたのだろうか。この30年間の親子一世代に生起した社会変化は、過去のどの時代にも見出せないほど速いスピードの大きな振幅の複雑な変動であったし、なお進行中であるので、過去の経験則は半ば否定され、無用となって、新たな規範を求めさ迷っている状況にあります。教育論の百家争鳴です。

 出展は忘れましたが、育児の要諦は「子供に三分の飢寒を与える」ことにあるとされています。多少の無理を押し長期間に亘って、環境の落差を意識的に与えながら、子供に向上心を芽生えさせ、変革の意欲をかき立てるように導くことが、親の義務であるとする考え方です。社会環境がゆっくりと変化し擬似静的に固定と見なされる古きよき時代は既に過ぎ去り、あたかも初期条件と境界条件が絶えず変化する編微分方程式を解き続ける様に似た現代において、例えば、新薬の臨床試験のように、条件と対象を限定し短期間の効果を測定する教育効果のいわば"薬効"を検証可能な、工学的手法が採用されるべきなのです。

 30年近くを経て、「ゆとり教育は失敗」であったと認識されるようになりましたが、その検証はあまりにも無駄が多く、長時間を要してしまいました。この間に起こった子供たちの変化を見れば、取り返しの付かない貴重な「30年」を浪費したことを反省しなければならないと思います。IT時代に即した、有効な新しい手法を存分に駆使して、教育効果をもっと迅速に検証できる方法を開拓すべきではないでしょうか。

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2005年9月 3日 (土)

成功の逆襲

 ある尊敬する創業者から直接に伺って以来、座右の銘にしてきた警句 「自己の得意分野で失敗することが多い」が、何か事を為し終えたときに自然に頭に浮んできます。古より同じ主旨の諺「勝って兜の緒をしめよ」が人口に膾炙された警句として知られていますが、そこに共通する意義は「成功の逆襲」の戒めです。

 例えば、"初仕事"に成功した泥棒は、その後の"仕事"にこのうまく行ったやり方、つまりパターン化された進入方法を繰り返すので、特定され逮捕されてしまうことになります。別の例で言えば、ギャンブルにのめり込むきっかけとなる「ビギナーズラック」〔beginer's luck〕に共通な人間心理の弱点です。

 最も得意な分野は、過去の成功体験ゆえに油断し易く、不得意な分野の進出に注いだ充分な配慮と事前の準備が軽んじられた結果、心外な大失敗に至るのだと思います。騎馬戦術でずっと成功してきた"職業軍人"集団の武田軍勢が、マニュアル的に鉄砲訓練を受けた"素人"足軽集団の織田戦陣に負けた理由も、あるいはバルチック艦隊を撃破し旅順攻略に成功して教典にし学んだ日本軍が、ノモンハンからインパールまで負け続け理由も、全て過去の「成功の逆襲」に在ると見ることができます。

 成功体験は心地よい記憶であるし、他人に自慢できる輝かしい成果ですので、何度でも再現したい衝動に駆られる結果、思考の中でごく自然に定型パターン化し専用公式となります。これを回避するには、強い意識をもって、過去の成功体験を忘れ〔ときに捨てて〕、目先を大きく変え、別方向に位相を移し、未踏の地に敢えて歩みだす勇気が絶対に必要です。

 ときおり、殆ど書籍を読まない、他人の話をあまり聴かない、チャレンジしたがらない人に出会うと、不思議な気がします。知らないうちにパターン化した自己思考を修正できるのは、実はこれらの積極的な努力でしか為し得ない筈なのに、多くの機会を逃し、敢えて無視するからです。このような人は、自己経験の判断で行き詰まると、占い、手相、宗教など、およそ無関係で無責任なご宣託に頼り、ついに予見可能な末路を辿るようになります。

 プロの野球選手、サッカー選手は、どのような体力と意思の持ち主でも、輝かしいピーク期間は体力の衰えから行き詰まりを感じる三十代後半で終わることが多く、最近のスポーツニュースで報道されています。企業人であれば、まさに人生最盛期に至るときに、プロ選手は、残された長き後半生をどのように過ごすか、輝かしさの反転の重い課題を背負うことになります。予めこれあることを予見して、充分に準備した者とそうでない者との差は、その瞬間に歴然として重く圧し掛かってくることになります。このような場合も、「成功の逆襲」の戒めが必要不可欠な警句であります。いずれにしても、別な自己が現在ある自分を遠くで客観的に見ている(3D+T)構成の監視体勢が、健全な企業のみならず、自己組織において必須の思考方法なのだと思います。

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2005年9月 1日 (木)

人格と仕事

 研修、試用の期間が終わって、新入社員が最初に配属される職場先の希望を尋ねられたときに掲げる理由として、職場上司の人柄のよさが圧倒的に多い。業務が不案内なので、不安な船出の行き着く先に、厳しい上司は避け、なるべく人格円満な人の下で働きたいという思う気持ちはよく判りますが、仕事の面から見ると、必ずしも上司の人格が成果に直結しないで、その逆になる場合が多々あることに早晩気付く筈です。

 日常生活の付き合い関係で、人格円満はまことに申し分ない条件ですが、その対極にある職場は、従業員の間に発生する利害得失の衝突と調整、妥協と協調の上に成り立っている非情な人工の擬似社会ですから、人格円満な上司の下では、必然的に業務は行き詰まり、ストップしてしまいます。例えば、部下の意見をあまねく聞いて全員が納得できる行動を採ろうとすれば、上司の頭の中は混乱とカオスの思考が繰り返されるばかりで、人格円満なるがゆえに非情な決断が実行できず、極端な場合、業務停滞の事態に陥ります。しばしば採用されるこのときの上司の反応は「暫く考えてから決めよう」で代表される、引き伸ばしです。部下はこのときどうするか、大抵の場合、臨時の上司になった積りで「業務を進めるのに、かくかくしかじかの課題がありますが、このようにすればうまく解決できますので、如何でしょうか」と、まず提案同意を求める関係に変化します。さらに発展すると、「・・・・このようにすればうまく解決できそうでしたので、実施しておきました」と、実施追認型に変わり、その帰結として、やがて上司に対して公然無視が始まり、下克上が実際の形となって、最終的に組織改変へ進むことになります。

 経営学等で引き合いに出される事例に、大統領と補佐官の関係があります。形式的に大統領署名の教書ですが、内容の大部分はその補佐官苦心の作文であることが多いとされています。極端な場合、真偽のほどは判りませんが、補佐官に簒奪しようとする強い意思が働き、面白いフィクションに仕立て上げられて、TVやドラマに取り上げられることになります。日本の政治家の掲げる政策もまた然りで、秘書や官僚の役割がかなりの部分を占めている事実は周知のとおりです。最近の事例として、例えば、某知事の「パート的業務」と副知事の権勢、法務大臣の国会答弁内容と官僚の補佐など、報道で明らかにされることが多くなりました。秘書から政治家になった事例の殆どは、永年のこのような政治家と秘書の関係に変化が生じるのが動機だと言わています。

 経営組織のフラット化を進めようと盛んに喧伝され、ヒエラルキー階層を減らせば、一次情報に接する機会も多くなり、意思決定が効率的で正確になるとの認識が広まったことがあります。その後、この方向は幾らか修正されて、ある程度のフィルタリングやスクリーニング、評価を適切に行なう中間層の意義が見直されました。

 部下は、上司の仕事振り、決断の仕方、人格などを傍らでじっくりと常時観察しているものです。上司と異なる対案を密かにシミュレートし比較している部下もいます。何時までも部下でいる筈もなく、やがて階段を登り、あるいは独立して、自己実現を図るのが正常な個人の成長の姿でありますので、言い換えれば、部下が育つ正常な過程の準備であります。

 部下の成長を願っている上司かどうかは、次となる者の存在の有無と、その間の距離のとり方で判ります。意識的に距離を大きく取ろうとするのは、現地位の安泰と簒奪の予防を優先しているからであり、人格に何らかの欠陥があると考えるべきでしょう。例えが適当かどうか判りませんが、次期首相として簒奪される恐れのある有能な大臣を小泉さんは敢えて任命していません。長期政権にとって適切と考える距離を置くように人選しています。ワンマンや独裁者がよく採用する手法ですが、次は必然的に混乱と喧騒の状況になり、群雄割拠へ引き継がれることになります。現政局の混乱の主要因なのですから、無責任の謗りは免れません。

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