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2005年8月29日 (月)

遠い記憶①

 二十数年前の約二ヶ月ほど、クアラルンプール市郊外の棟割長屋風のアパートに会社同僚3人と宿泊して、市内にある子会社の技術指導に当たっていました。日本のアパートからは到底想像できないような、欧州風の趣あるレンガ2階建てのシックな建物で、それぞれ個室を寝室に、風呂は順番に食事は一緒にとるという共同生活を続けていました。

 たまたま会社に隣接して、同じアパート風の住宅を新築している現場がありまして、会社の最上階から昼休み時などに、つぶさにその進捗状況を見学することができましたが、地震がなく、東南アジアでは珍しい人口希薄〔当時の人口は1400万人〕で、宗主国イギリスの文化を引き継いでいたからなのでしょうか、田の字型に穴の開いたレンガをモルタルをつかって積み上げ外壁にする簡単な構造の建物のようでしたが、断熱に優れており、素足でコンクリートの床上を歩くとヒンヤリとして赤道直下いるとは思えない心地よさでした。

 室内天井は高く、快適な室内空間を醸していましたが、日本ではあり得ない構造なのですが、各ドアは全て施錠できるようになっていて、更に窓、玄関、勝手口などの開口部は頑丈な鉄製の飾り模様を施した内扉を備えてあり、全て施錠することができました。

 永年居住している従業員からその理由を聞き出したところ、泥棒と強盗が多いからということでした。ときに、住み込みのお手伝い〔アマ〕さんが手引きする強盗事件も起きるようで、室内ドアは必ず施錠し、食卓上に何がしかの現金〔ひどく不満を感じない程度の金額〕を入れた財布を置いておくことが必須の防犯対策であるとアドバイスしてくれました。

 イスラム社会ではごく普通に、羊の屠殺でナイフを巧みに使って血抜きをしますので、強盗事件の被害者が同じ対象になることも多々あったようです。かって、イスラム教を冒涜したとされたインド系英国人の問題小説〔悪魔の詩〕を、イスラム教指導者の強い反対を押し切って筑波大助教授が翻訳出版して殺害されるという凄惨な事件が日本で起きました。このときの殺害方法が、推定理由と共にまさにこのイスラム的作法によるものであったことから、あまねく知られるようになりました。

 長期間居住していると特に気付くことがありました。発展途上国の常として、貧富の格差が大きく、外国製高級乗用車を四、五台所有している高収入者の豪邸がある一方で、その日暮らしがやっとの低賃金にあえぐ極貧層が混在している状況は、明治期もかくやと思わせる社会構成に居るような錯覚を覚えました。そして、近代的な市街で、不思議なことに、めったにピアノを弾く音を耳にしないのです。その理由は簡単で、ピアノの音が犯罪者の強い誘引になるからでした。グランドピアノの豊かな音色を発する家は、現金があるに違いないと考える泥棒や強盗がいたからです。罪の意識もまたイスラム的で、貧しい者に豊かな者が施して当然であるとして、卓上に不用意に置いた金品を誰が取得しても〔窃盗をしたのではないから〕咎められないというイスラム社会独特の共通認識がありました。

 その後の中国の目覚しい躍進の蔭で、かって大成功したLookEast政策も大きく方向転換を余儀なくされ、ますます難しい舵取りを強いられています。永年の間に培ってきたその国の固有文化の土壌に目に向けるとき、宗教や歴史、民度や習慣、教育や国富と、広く深く配慮する必要があります。とても苦い体験でしたが、第二次大戦の苦しみを受けた側の心情を慮りながら、様々の配慮に努々怠ることなく、未来志向で協調すべきなのです。

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2005年8月18日 (木)

予防と感度

 四半世紀ほど前の初の米国出張のおり、当時コンピュータ制御の自動車を開発していたGM社の技術者が「センサは"Garbage in, garbage out"〔屑篭から屑篭へ〕であってはならない最も重要な機能部品である」と主張していたことが強く印象に残っています。以来、高品質で高感度なセンサの開発を目ざして、この警句を座右の銘にしてきました。

 経営学でよく引用される逸話に「茹で蛙」があります。水容器に入れた蛙をゆっくり時間をかけ加熱してゆくと、徐々に熱くなっていることに最後まで気付かず、やがて茹だって死んでしまうという比喩です。また、犯罪学で有名な「破窓理論」(Broken Window Theory)が知られています。建物の窓を破れたまま放置しておくと、先ず軽犯罪が多発するようになり、やがて重犯罪の起こる地域へと変貌しやすいという、米国で実証研究された理論です。これら事例をセンサ機能の立場から検証してみようと思います。

 センサの検出感度は、測定を開始する基準時間あるいは基準レベルに対して得られる対象の変化が、測定中に混入してくる雑音や変動より大きいとき(専門的に表現すれば、時間や変数の編微分としての信号が、ノイズやレベルの変動より大きいとき)に得られる測定値と定義されます。これを上の事例に当てはめてみると、蛙の体温は周囲の温度によって長時間に非常にゆっくり上昇すると、短時間であれば前後の温度変化として容易に検出できる筈なのに、検出感度が低くなるために検出できず、蛙は茹でられてしまうことになります。例えば、財政健全化が叫ばれている昨今の日本を思い浮かべれば理解しやすい。かって優秀とされた官僚たちに全て任せて気が付けば、国は巨額の借金を背負って倒産するのではないかと恐れている構図です。予兆が数々あった筈なのに、敢えて無視し、看過してきた当然の帰結なのでしょうが、日本の社会感度が鈍くて全く機能しなかったことがその主因ではないでしょうか。

 破れた窓をそのまま放置しておくと、周辺にいたずら書きが増え、段々と大きな破壊が加えられてスラム化すると、人々はますます近寄らなくなって、やがて犯罪地域に変化して行きます。例えば、ニューヨーク市のハーレムや、米国都市の中心部を想像すれば理解しやすい。健全社会にある犯罪抑止機能の感度が何らかの理由で鈍化すると、気が付いたときは既に手遅れになって、住民は安全な郊外へ逃げ出してしまい、そして空洞化し犯罪地域になるのです。破窓を速やかに修理し、環境を正常に維持しようと常に努力している「ご近所の底力」のある社会環境ならば、ごく初期の段階において犯罪予防できるという、日本の地方や下町で未だ健在な至極当たり前の社会機能が失われてしまったことが原因です。

 医学の目的は治療より予防にある筈なのに、残念ながら未だ予防を軽視して治療に力点が置かれているようです。極めて少ない費用と時間で簡単に予防できた筈なのに、かなり症状が進行した段階で治療を開始し、手術を受けることになるため、限られた効果に向かって苦痛を伴いながら、多くの無駄な費用と時間を投入することになります。

 犯罪の場合においても全く同じです。被害者となって様々な苦痛を味わうことを考えるならば、鋭敏な社会感度によって費用も時間もかけずに、初期段階の犯罪を予防し抑止することができた筈です。

 古代ローマ帝国の衰亡の歴史を学ぶとき、その社会が健全であったときに立派に機能していた社会感度が、かなり早い段階から鈍磨し衰えていた事実を知っています。翻って、米国および日本の現代社会を顧みるとき、さまざまな悪しき兆候が既に存在しているように思われて仕方ありません。社会モラルの低下、教育品質の劣化、国民意識の分裂、社会規範の希薄化、犯罪の多発と凶悪化、伝統文化の衰退などなど、列挙するほどに暗澹としてしまいます。

 然しながら、これからのIT社会においては、時空を超える拡がりと規模の新しい社会形態と多量な情報の共有とによって、過去の社会では到底なし得なかった全くに新規な「ご近所力」の「社会感度」に変わるものと推測されます。過去の多くの困難と課題を見事に乗り切ってきた人類の力をこの際確信して、これからもずっと社会を俯瞰し、注視して行きたいと思います。 

 

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2005年8月15日 (月)

8月15日の記憶

 あの日も、栃木は晴れて暑い真夏日でした。母親の3姉妹の家族たちと一緒に、母親の実家を頼って東京から疎開した先の農村で、実家に隣接の村の集会所に一時間借りして5ヶ月が経過していました。同行した親戚の子供たちの中で一番年少の尋常小学校2年生でしたので、事前通知されていた重大放送が何であるのか理解できぬまま、家族全員が古びたラジオの前に正座している異様な雰囲気を感じて、放送をじっと聞いていました。雑音の中から、内容や意味は理解できなくても、あの独特な抑揚から昭和天皇の玉音放送と判りました。戦争が終わったらしいこと、これからどうなるのか声をひそめて話し合っている親と兄弟たちに問うこともできず、深刻な雰囲気からそっと裏庭に抜け出して、これから大変なことになるのだという漠とした不安を感じながら、飼っていた鶏をずっと眺めていました。2度目の転校と疎開で、浅草の標準語で田舎の友だちもできず、心細さを感じていました。

 浅草千束一丁目に生まれて以来住んで、昭和19年4月に千束(尋常)小学校に入学したのに、翌年2月に父親の決断で池袋要町へ家族で引越し、池袋三原小学校へ転校したばかりのあの3月10日の夜は、家の道路わきに掘った防空壕の中から、東の天空を真っ赤に染める下町大空襲を身を震わせながら見上げていました。千束小学校に入学したときの記念写真があり、真中に国民服の久野校長と正装した女性担任が疲れた表情で新入生たちと一緒に正面を向き、右上壇上に一人のセーター姿の私が写っています。既に学童強制疎開が実施され上級生は学校に殆どいない状況でしたが、浅草に生れ育った人たちは頼るべき田舎の親戚が少なく、幼い低学年生たちは親と一緒に生活を共にしていましたから、先生と同級生たちは、家族と共に殆どがこの空襲の犠牲になりましたことを、大分経ってから親から聞くことができました。少し前まで遊んだ幼な友だちを想い出し、この村で一人ぼっちになったことを知って、一層の心細さに包まれました。

 兄6人と姉3人、末の私と両親の大家族を引き連れ、父親があの厳しい戦況の中でよく間違いなく決断できたと、当時の父の年齢を過ぎて深い畏怖と尊敬を感じています。桑名の山村農家(もともとは千手院村正の正統刀鍛冶)の長男の立場を捨て、大阪に出て修業し、最終の東京に進出するまで抱いてきた強い気概は、昭和恐慌から四度の破産を体験して得られた生き様の太い背骨が明治生まれの父に通っていたからではないでしょうか。

 新田次郎の著作の中に八甲田山雪中行軍の犠牲となった明治将兵の日記に関する記載がありますが、それによると彼らには、昭和軍人に無い際立った特徴として、深い思索と批判の精神が横溢していたそうです。あるいは夏目漱石の隠された日記が(中央公論に)戦後公開され、明治天皇に対する厳しい評価の存在が示すように、社会の健全性に育まれて、個人の精神も健全に維持できたのではないでしょうか。明治生まれの父からもっと多くの貴重な話を聴きだすことができた筈なのに、残念ながら年代のすれ違いの中に埋没して大部分失なわせてしまいました。

 更に父親の判断によって、開戦と同時に軍需工場の下請けの仕事を始めたことで、技術者登録した兄たちを出征から守りましたが、それでも終戦間際になって、二人の兄が南支と内地に送られられました。幸いに欠けることなく復員でき、戦後の復興に兄弟全員で協力することができました。長姉たちは小さい弟妹たちの母親代わりになって家族協力していましたので、私には3人の母親がいる小社会のような家庭環境の中で、2歳上の姉やその他の兄姉とも仲良く助け合って戦後の困難な時代を乗り切ることができました。父親は常にその中心にいましたが、南支に出征し復員後に病死した兄を除いて、皆で見送るなか84歳の天寿を全うしました。

 戦後の体験はまたいずれ適当なときにお話しすることにしましょう。

 60回目の終戦(敗戦)記念日がまた巡ってきましたが、この日を体験した人々は年々少なくなっています。私のこの小さな記憶を心にとどめて頂ければ幸いです。ありがとうございました。

 

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2005年8月11日 (木)

思索する言語

 ニ年ほど前のことになりますが、私共の長男夫婦が仕事の関係で渡欧することになり、一歳に満たない孫が10時間も初めて飛行渡航することを心配して、幼児心理学がご専門の新潟大N教授宛に幼児期体験の影響についてメールで相談申し上げたことがありました。特に心配はないだろうとのご回答を頂戴したのですが、お礼の返信末尾に、日頃抱いていた次のような疑問を問いかけさせて頂きました。

 一般に、幼児期記憶の開始が凡そ言語習得期の3歳頃にあることから推察して、妊娠後期から言語習得期までの非言語時期に受けた体験記憶が乳幼児にも存在しているのに、単に出生後に習得した言語に置換も変換もできず、表現できないまま深層に体験記憶として残存しているだけなのではないだろうかという疑問でした。母親の胎内で聞いた心拍音の安心効果、胎教の鎮静効果等について既に実証済みですし、この疑問を提起する根拠にもなっているのですが、現代の極めて深刻な社会問題になっている幼児虐待を何としても解決したいとの強い想いから敢えて提起しました。幼児虐待の深刻さは、幼児期の被虐待の体験が、やがて成人後に幼児虐待の主要因になること、つまり、望ましくないある種の家庭文化の遺伝が実在しているという恐ろしさにあります。

 現代でもなお、多様な言語がこの地球上に存在していますが、消滅しつつあるザメンホフ創製のエスペラントに代わって、現代ローマ帝国の米国が使う英語が60%を越え、デファクトスタンダードの地球言語になりつつあります。たとえどの様な言語が使われるにせよ、その言語を用いて対象を理解するために一旦は抽象化して思考し、そして結果を再び表現して出力する基本機能に変わりはありません。然しながら、ひとたび言語が失われてしまうと、モヘンジョダロの絵文字も、インカの抽象文字も、西夏文字も、単なる模様として取扱われ、伝承の意図が永久に絶たれることになります。この点から、乳幼児期に体験して深層に格納された非言語の体験記憶はどのようにして読み出せばよいのでしょうか。言語以外の、もっとプリミティブな形態の、代替する適切な手段が新たに開発されるべきではないでしょうか。専門家ではない悲しさ、これ以上の提議は最早できませんが、ぜひ幼児虐待の解決に有効な手段、方法を開発して広く採用できるようにして頂きたいと思います。

 音楽家の言語として楽譜が、科学者の言語として数学が、そしてコンピューターの言語として例えばC言語が、必要とする度に人類は新しく開発してきましたしたが、乳幼児虐待の解明のためにも、乳幼児の非言語期の解釈に最適な新しい「言語」の開発を強くお願いしたいと思います。

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2005年8月10日 (水)

母子家庭

 30年以上も昔のことになりますが、かって仙台市内の4世帯アパートの一郭を借りて一家四人で約1年間住んだことがありました。大都市ではごく普通に遭遇するような小さな男の子と母親の母子家庭が東隣に数年前から住んでおり、月に何度か父親とおぼしき中年の男性が秋田から訪れていました。この母子家族に対するある種の興味もまた都会の希薄な空気の中で共通に健在でありましので、中年の男はさる病院の事務長で、同じ病院で働いていた看護婦と不倫関係となって男の子の母親になったのだという噂話がまこと密やかに近隣の間で流布されていました。不思議なもので、そのような噂話をベースに母子家庭を見ると実際そのように見えましたが、真実であったかどうかは判りません。

 男の子と私の息子たちは年齢の近いこともあって、雪合戦をしてよく一緒に遊んでいましたが、ときに理解に苦しむ行動をとることがありました。あるとき、雪玉の中に小石をいれて息子に投げつけてきたのです。幸い当時流行のウルトラマンマスクを付けていたおかげで、当たった瞬間に硬い音がした程度で済みましたが、不幸な家庭環境から両親の揃った息子を屈折した対象にしたのだろうと推察し、男の子の不幸さをむしろ同情したのでした。いま思い返してみても、あるいは社会の冷たい視線を敏感に感じて、幼いながら小さな社会に反抗していたのかも知れません。

 当時と比べ現在の母子家庭は、離婚や未婚の母子家庭の増加などで、社会の見方もごく普通のこととして受け入れられて、もはや興味の対象ではなくなり、より暖かい社会環境が醸成されつつあるようです。母子家庭に対するより望ましい社会の受け入れ形態は、理想を言えば、戦前の日本に存在した兄弟姉妹が多数いる大家族、あるいはニ~四世代同居の家中心家族なのでしょうが、今も細々と残存している下町的な助け合い関係の近隣社会が最適な形態ではないでしょうか。

 NHKの人気番組「ご近所の底力」に見るとおり、ご近所社会の健全さこそが、防犯から子育てに必要不可欠な社会力そのものに他なりません。やっと今頃になってこの常識が意識されるとは誠に情けない話なのですが、日本でブームのイタリア社会でさえ、戦争母子家庭が普通の古代ローマからずっと継承してきたご近所力がごく当たり前のこととして、広く社会に受け容れられ、普通にいまなお健在です。

 戦後の日本社会は、戦前の家族主義の弊害の反省から、あまりに過度に核家族化され、細分化されてしまいました。そして社会文化の遺伝子は、戦後60年を過ぎてまさに消滅しつつあります。共産主義を捨て民主ロシアに戻ったのは、奇しきも共産主義以前の社会遺伝子が消滅しつつある復元限界の年でありました。日本はできるだけ早くに、官僚統制の社会主義を捨て、郵政民営化に象徴される民業にこそ軸足を移すべきなのです。この意味において、今回の衆議院解散総選挙は、歴史を振り返ったときに、日本社会主義のターニングポイントであったのではないだろうかと確信しています。

  

 

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2005年8月 9日 (火)

遺伝と後天

 狭い庭先の古い樹木の下で、今年も沢山のセミが羽化し飛び立っています。

 卵より孵って7年の間土中深くに生息していた幼虫が、夏の暑い夕方に地上に現われ、翌朝には既に成虫となって空中を舞うことができるセミの遺伝プログラムは、現代の進歩した科学成果をしても部分的に模倣することすらできない精巧で精緻なものとされています。

 翻って人間の場合は、20年前後の長い後天的な育児と教育の後にやっと一人前になれるほど不完全で未熟な誕生から始まります。永年かけて頭脳に蓄える学習と経験が多様かつ多量であり、しかもその内容を自由に自己選択できるからなのですが、遺伝プログラムで生きているセミなどの昆虫には無いフィードバック学習が可能であるという圧倒的な優位さが、結果として頭脳にビルトインされることになります。

 DNAの遺伝プログラムは、気の遠くなるような超長期間に生起した厳しい適者生存の原則によって、多くの犠牲を払いスクリーニングされフィルタリングされて残存しているのですが、仮に人間の頭脳が獲得している後天的な学習と経験のフィードバック機能がセミの遺伝プログラム生成機能に備わっていたとすれば、犠牲少なく極めて短期間に獲得できたのではないでしょうか。

 人間頭脳の圧倒的な優位さとして指摘される長所は、例えば複素数を考案し、量子力学を創造したような、時空を超えた抽象の無限世界を、遺伝プログラム獲得期間と比べると圧倒的な短期間内に人類が創出できたことではないでしょうか。その結果、輝かしい科学全般の進歩発展を促し、見返りとしてそれらの成果をあまねく享受できるようになりましたが、その反面の弱点として、さまざまな宗教・宗派の抽象観念を人々の頭脳の中に移植させてきました。合理的な論理の科学世界と心理的な空想の宗教世界とが同じ機能から生起したものとすることに一見矛盾を感じらるかと思いますが、抽象世界を創造し信奉することができる頭脳の機能として見るならば、実は同一作用なのだと理解できます。

 それにしても、現在ある成果から観ると、遺伝プログラムの機能はなおすばらしいものがあります。土中にあったセミの幼虫が、ほんのニ三日の後に羽化して完全飛行ができるとは、後天の学習経験に専ら依存している人間の対極にある、自然の驚異そのもです。この驚異を学習できる人間の頭脳もまたすばらしい自然の驚異であります。

      

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