2005年10月22日 (土)

剣道とビジネス

 対戦型スポーツは、競技自体にビジネスと共通する教訓が内在しているからでしょうか、教材に引用されることがあります。競争企業と熾烈な闘いを日々繰り広げている状況に類似点が多いことから、真剣勝負する剣道が好んで引用されます。

 宮本武蔵は、絵画と書に人並みはずれた才能を発揮したことでよく知られています。達磨、孤鳥、自画像などの描写に漂う武蔵独特の気迫は日本画の傑作に列していますし、五輪の書は剣道を志す者の聖典になっています。しかし、反時計回りに描く達磨の描順から判断すると、武蔵は生来の左利きであった筈ですが、自画像に見る限り、右手に長刀を左手に短刀を持つ典型的な右利きの構えを造っていますので、対戦相手を巧妙に欺いて、結果的に生涯を通し全勝できた理由に違いないと推察できます。将に"能ある鷹は爪を隠す"です。

 構えの譬に、観見の"遠目の目付"があります。遠くの山を見る如く、対戦相手の全体を把握する大切さと、一箇所を注視する危険を説いたものです。例えば、小手を狙うことを視線から察知されずに、意表を突いた相手攻撃に素早く反応できるからです。試合対戦中の選手の足運びを、少し離れた傍らで見ていると、両者の巧拙、技量を容易に判別できますのは、この見方に相通じています。高段者ほどゆったりと歩むように進むのに対して、忙しなく動き回るのは専ら技量に劣る側なのです。俗に言う"岡目八目"の俯瞰の判断です。

 これは明治期に実際に起きた事件なのですが、何かの弾みで剣道場の師範と植木職人が決闘することになりまして、師範は木刀で職人は真剣のハンデで対峙し試合をしたところ、結果は意外にも師範が負けて死亡してしまいました。立会い早々、師範は職人め掛けて木刀を振り下ろしたところ、定型の真剣で受け止めることなく職人は首をひょいと曲げて避けたため肩に強かに当たっただけで、思わず繰り出した職人の真剣に師範はいとも容易に刺し殺されてしまったからでした。

 黒澤明監督の映画で、例えば侍と博打打の乱闘場面を思い浮かべられると理解し易いのですが、竹刀習得の剣法と、白刃の下で命がけで体得した博徒の"ヤットウ"剣法の違いに相通じる教訓が、そこに存在していると思います。竹刀剣道は打ち込まれても直ぐにまた生き返るバーチャル剣法であるので、心の隅に命に対する甘さが無意識に残ります。また、先達が開発し伝えた効率的な型の修得に日夜励んでいると、日本舞踊のような「きれいな技」が自然に身に付き慣れますので、型に無い太刀捌きに遭遇すると、たちまちに対処不能に陥って立ち往生し、負けてしまうのです。

 この型修得の弊害の反省からでしょうか、江戸期の太平剣法にもルネッサンス的な動きがあったようで、例えば示現流は"八方破れ"に構えますから、小野派一刀流の侍が正眼に構え、示現流の"異型な"構えの者と初対峙したときの驚きと恐怖は、さぞかし大きかったに違いないと推察できます。反射神経を只管に定型で鍛錬したことの危うさ、落とし穴と言えます。

 敷衍すれば、教科書学習の弱点もこの辺にありそうです。つまり守・破・離のプロセスを進めることの困難さです。人類のエポックメーキングな業績がしばしばアウトサイダー所属の個性的な独学者や独習者によって達成された理由も、この辺りに真因が存在するのかも知れません。

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2005年10月18日 (火)

政治と外交

 今回実施された小泉郵政解散の選挙結果は、日常的に政治と無縁な人々にとって、かなり示唆に富む見方・考え方を提供してくれた点で注目に値する出来事であり、少し誇張して言えば"歴史的"な出来事でありました。

 小泉さんは、歴代自民党の総裁には稀有な特質を"いろいろ"に備えているとの理解は、誕生から4年を経てなお高い人気を維持し続けている理由として、衆目の一致する見方のようです。その一つに、One Phrase Politicsの根拠になった、政策や方針に対する必要最小限も満たさない「寡黙さ」があります。今回の政局において、多くのベテラン議員、新聞記者、政治評論家の予想が、ドラスティックなほど見事に裏切られた理由でありました。

 人間観測していると、しばしば表層と心裡の乖離が判明するシーンを目にすることがあります。橋本竜太郎氏は議員になってからも熱心に道場に通って師範腕前の剣道に汗を流していました。生来の小心さを隠蔽し"威風"を支持者の前で演出したい意識が人一倍強くあった筈なのに、剣客に相応しくない正義感の欠落から、日歯連献金事件の不名誉を厭わず、明々白々な偽証をしています。なぜなら、会合意図が献金にあった筈なのに、忘れて記憶にないとは到底信じられないからです。また、防衛庁長官室のベランダから目的不明の決起を呼びかけ自刃した三島由紀夫氏は、ボディビルと剣道の練習に熱心に取り組み肉体改造に励んでいましたが、この意図が、幼少期の奇行で意識した"男色"を気取られないためのカモフラージュにあったことは、自伝的小説「仮面の告白」や死後開示された日記から読み取ることができます。

 ある創業2代目の経営者と面談した折に、盛んに難しい漢語を駆使しこれから進めようとしている経営方針を熱く語る場面に遭遇したことがありました。このような場合、孫子の兵法が特に好まれる出典のようですが、その真意は、古典の確立された評価を借りてする自説説得に力点があったようで、創業者には確として存在した自からの言葉で語る熱意が、2代目になると最早失われて、経営者の人となりの薄さを痛感することになりました。

 どのように仮装し、借用しようとも、鋭い観察と検証に曝されると明らかにされる真実がある一方で、逆に心の奥部に秘匿し、言葉少なに注意深く表現することで、他人に窺がい知られることなく、決意を実行できる場合があります。小泉劇場の芝居の真の筋書きを、多くの有権者と同様に、ベテラン政治家になるほど見事に読み違えた今回の解散選挙ほど、教訓的な事例は少ないのではないでしょうか。どの様に批判されようとも、事前に本心を開示しないことによって、政敵の放つ攻撃を有効に回避できたし、事前公表による自縛がないことが強みとなって、戦術がブレることも変更する必要もなく、計画とおり機能させることができました。言葉の少なさに反比例して多数の憶測と仮説が生み出されましたから、俳句のように、少ない言葉のもつ意味弾性の拡がりと、時間経過と共に膨張する想像域とに助けられて、曖昧なマニフェストも国民に快く受け入れられて、結果的に大勝利しました。

 どの様な外交秘密も3ヶ月もすればその95パーセントは結局は公開されると陳述したカナダの職業外交官がいました。最近、諜報職員をIT公募して話題になった英諜報機関が現れるほどに、情報自体の秘匿はますます困難になっているようです。最近あった外交ニュースに、10月18日に小泉首相が靖国神社を参拝する報道と、11月15日にブッシュ大統領が京都で小泉首相と会談予定とする2つの全く異なる報道がありました。一見何の脈絡のない両報道を大胆に読み解くとすれば、イラクの失敗で苦境に陥っているブッシュ政権が打開策を模索して来日する姿が透けて見えてきます。更に踏み込んで予測すると、イラク・イラン両国に対し歴史上の瑕疵履歴がなく、宗教対立軸を持たない、米国の忠実な同盟国日本に対し、ある種の解決期待を持つようになるのは、米外交の当然の帰結であると理解できます。

 暫くの間、この予測がどの程度的中するか、静観してみることにしましょう。さて、結果は如何でしょうか?

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詩人になるとき

 正確に出典は憶えていませんが、恐らく筑摩書房刊「外国人の見た日本」1~2巻か、あるいは講談社文庫「亡命ロシア人の見た明治維新」の辺りにあったように思います。江戸期末期に日本に漂着し囚われの身となったロシア人と、取調べの武士が詩作について交わした短い記録なのですが、詩作は学習によって可能とする武士の主張に対して、才能の前提が必須と説くロシア人が反論する内容でした。当時のロシア人が抱く詩作常識がどの様なものであったかは知る由もありませんが、当時の日本人共有の詩作イメージは、間違いなく韻律調の漢詩でありましたから、詩作といえば、中国古典から多数の漢籍を学び、漢詩の約束事を踏襲して行なう漢詩作りであると理解すれば、漢文が既に半ば日本語化していたとは言え、紛れもなく外国語の作詩に共通の前提として、充分な学習と習作は当然なことでした。現代に敷衍しても、外国語の作詩において、武士の主張は正しいと言えます。ロシア人と武士両者の意識を推測すると、和歌や俳句など日本が誇る国有文化を詩とは自覚せず、相手に知識されていなかったところに、議論がすれ違う不幸の原因があったと解釈できます。

 しかし、普通の人でも特別な状況下に置かれると、詩人になれる場合があります。泥棒詩人として著名な仏詩人のフランシス・ビヨン〔F.Villon〕は緊張感漂う"仕事"を為しつつ傑作を生み出し続けました。乃木将軍は、子息二人と多数の部下を戦死させてやっと勝利し、悔悟と悲惨の戦場で作詩した傑作の紫禁城外斜陽の漢詩を作詩しました。このように極限状態に追い込まれると、巧拙は別として、人は極く自然に詩人になれます。時世の句に傑作が多い理由と共通しています。職業的、天才的な詩人とは、つまるところ、このクリティカルな作詩環境に自らを常置できる優れた能力の持ち主たちではないでしょうか。個人が特別な状況下に置かれる日常経験とは、例えば突然の"病気・入院"があります。平和で安定した日常状態から、唐突に明日をも断たれる恐怖と不安に措かれ、激しい心の動揺、混乱、ときに錯乱の入り混じったプロセスを経て、やがて終局の穏やかで平和な境地へ辿り着くのですが、この過程の中で詩人になれるときがあるのです。

 50歳のとき、突然の癌発見と摘出手術のため癌専門病院の病棟の、検査ベットを含め8人の入院患者を収容する2階の角部屋に、緊急入院しました。結果的に病態が比較的良好、軽度だったこともあって生存できたのですが、入院中起居を共にした約20人の仲間は1年を経ず殆どが亡くなられたことを後日なって知り、記憶の悲しみで一杯になりました。入院当初は人生時間が突然にストップしたようで、言い知れぬ不安、悔悟、反省を止めどなく繰り返し回顧する毎日でしたが、少し環境に慣れて来ると、手馴れたビジネスノートに代え、程なく病室の観察日記を付け始めました。その余白に、次の短い詩作が残されています。

  希望は絶望の夜明け/幸福は辛苦の彼岸/成果は犠牲の果実/収支は均衡することなし

 記憶は無いのですが、退院間近の頁に記載されてありますので、恐らくある種の覚悟ができた頃の作であるように思います。言葉の選択に稚拙さはありますが、当時の心境を想起すると感慨深いものがあります。

 ところで、恐らく仏籍にある著名な方の詩作と確信しているのですが、ぜひ出典を教えて頂きたい次の詩文があります。同世代と想像される著者の立場に想いを馳せてみる愉しみが、この詩文鑑賞にはあります。

 雲は山に帰り、鳥は巣に帰る/人は勤めを終えて家に帰り、生涯の仕事を終えて故郷に帰る/子を育てて親の懐に帰り、乱れた心は本心に立ち帰る/帰家穏座

 穏やかな心境に在る著者に、言い知れぬ親しみと安らぎを感じることができて、秀逸です。人生の様々な苦難を乗り越えて初めて到達できた、この様な心境に何れの日にか達せるよう、望っています。

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2005年10月10日 (月)

人間学について

 宮崎音弥氏に権威代表される心理学者が日本の心理学を牽引していた時代がありました。異常心理を研究対象にしたフランス発祥の心理学でしたが、正常者ならば隠蔽し理解し難い心理現象は、異常者ならば容易に観察できる筈であるという発想が創設のベースにあったに違いないと、門外漢として判断しているのですが、異常者の示す典型的な症状に基づいて正常者を分類区分するので、必ずしも心地よい診断として受け容れ難いものがありました。例えば、分裂症的や偏執気質など聞くもおぞましい異常症状の分類区分が適用されるので、まるで創造主の教義ような犯しがたい神聖な立場を心理学が占める錯覚を、検者と被検者の双方が自然に持つようになったと思います。犯罪心理学であるならば、ある種の異常認識がありますので受容され存在する意義は認めますが、正常な社会人を広く対象とするに及んで、その異様さから次第に敬遠され衰退していったのは、考えてみれば当然のことです。共産主義が衰退して久しいにもかかわらず、マルクス主義の亡霊が未だ健在であるように、かって学習し刷り込まれた人々が存在する限り、時折再会する機会がこれからもあるでしょうが、復活だけはして欲しくないと思います。

 人間の心理や脳機能を対象にする学際において同様の共通する危険性が存在します。つまり、結果とその原因の関係解明が現象分析に基づいているが故に存在する危険です。脳細胞の作用物質までのミクロ追求が未だ不十分であることにその責任の一旦があると理解しているのですが、例えば、セントヘレナ島埋葬のナポレオンの遺髪にある砒素は、果たして痩せ薬なのか、毒殺の証か、あるいは病気の治療薬かは、未だに解釈が分かれていますが、真実は推察の域を出ることはありません。心理学においても類似の検証が行なわれることがあり、行動結果の現象分析から確からしい推論が導き出されるときに、例えば異常心理に基礎を置いた分析であるならば、異常性が殊更に強調された診断となりますが、通常生活の人間が異常性を極として日常行動しているかは甚だ疑問です。

 栄養学にもこれと類似の分析危険が存在します。"健康"な生活を生前に送ったと見なされる人間の臓器を取り出し化学分析したとして、含まれている微量金属は果たして健康者の正常値と判断すべきか否かです。例えば、天然マグロには約1PPMの有機水銀を筋肉内に含んでいますが、これを海水溶出の無機水銀が自然に有機化した結果と見るか、ふぐ毒のように固体擁護のための天然毒摂取と判断するか、あるいは常時回遊に必要な機能物質と評価するかは、更なる深い研究を待たねばならない筈なのに、同様の分析結果から栄養学においては必要摂取の微量金属量が単純表示されています。舌の味覚障害に亜鉛摂取の不足があるとされることがあり、葱の摂取を勧告されますが、どの様に検証された結果なのでしょうか、未だ疑問に感じています。

 経済学にも同様な課題があります。いわゆる価格決定の根拠理由に代表される心理的な側面です。いずれにせよ、人間の行動、心理、現象を対象にする学際に対して、常にある種の懐疑的な姿勢を持ち続ける必要があるように思われます。常に正しいとする理論は、対象が人間である限りにおいて、未来永劫、到底存在し得ないと見るべきではないでしょうか。 

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2005年9月24日 (土)

尊敬について

 レオナルド・ダ・ビンチは医学から絵画、土木建築など実に広範な分野に秀でた業績を残し、当代の「完人」と尊称されたほどの偉人でしたが、現在この称号が完全死語化したように、一人の人間がかくも広範で複雑な多岐の分野に頭角を現すことは到底不可能でしょう。現代は、専門化へ向かって加速・深化する中で、得意とする狭い分野やニッチ領域に安息地を見出し特化せざるを得ないからで、学際は勢い細かい櫛の歯状に縦割構成されることになります。そのような背景において、なお世間の業績評価は、狭く選択された領域に限定されることなく、全人格的な評価を求めて、全てレベル以上の高邁さを備えていることを当然であるかのように要求しますが、これは人間の本質を誤解しています。

 アインシュタインの不滅な輝かしい業績に対し、生涯趣味にしていたバイオリン演奏や不可解な家庭生活に同様の評価と期待を抱くとすれば、明らかに間違っているのみならず、本人にとっても甚だ迷惑なことであります。ロシア生まれで戦前大活躍した著名ピアニストのホロビッツに対し、90歳近くになって初来日した演奏から「壊れた骨董品である」と評した音楽評論家がいましたが、これは時間差無視の評価であって正しくありません。同様にホロビッツにもピアノ演奏以外の教養や私生活において、あまり芳しくない評価がありました。常識を超えた特定分野の偉業績の蔭にある常識以下の広い生活領域が、天才の周囲にも存在するということを率直に認めてやるべきですし、過去の業績を現在から遡及評価しようとすることに本質的に無理があると思われるからです。偉業績と認められる特異点の時点と近傍にのみ限定されて、評価し尊敬されるべきなのです。

 従って、平凡な一般人においてさえ、生涯にわたって尊敬に値する例があり得ます。高校の同級生でしたが、参考書の借用を申し出たときでした。「返却してくれるなら貸すよ」との返答に、「何故そんなことを言うのか」と半ば侮辱された想いで尋ねましたところ、「貸してから返却を催促するのはいやなので、貸す前にいつも言うことにしているんだ」との率直な回答に感激し、以来座右の銘にしていますが、いつも尊敬をもって同君を思い出しています。そのような理由から日常的に、たとえどのような身分、地位、職位の人であれ、優れて尊敬に値する部分が人には必ずある筈との確信を持つように自戒しています。どうしても見出せないときは、それを検知できない当方の無能さに理由があると考えるようにしています。最早や「完人」は存在しませんが、何人も未知領域においては「未完人」であることを決して忘れるべきではないと思います。

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2005年9月23日 (金)

失敗することの意義

 この世の中で、成功より遥かに多数の失敗が日々生起しているにも係わらず、失敗は顕在することなく密かに葬り去られ、速やかに忘却されることのみを只管願うがために、輝かしい成功事例の華やかさに幻惑され、在るに違いないと信じて成功の秘密の鍵を追い求めて止まないのだと思います。昨今になって漸く「失敗学」が提唱され広く認知されるようになりましたが、未だ多くの分野で、相変わらず失敗原因の追求に主眼が置かれた評価が幅を利かせていて、失敗することの意義を未だ充分には議論されていません。

 ここで言う失敗とは、失敗する筈がないと確信される程に、必要な準備と入念な調査が事前に行なわれた真面目な計画の結果に対する評価であって、半ばいい加減なプランと粗雑な手続きのままに試行したことの結果の評価ではありません。真剣に対峙したことによって、それと自覚されるまで失敗ではないし、たとえ当初の目標に対し成功しなかったとしても、目標以外の事象で多数の小さな成功を手中にしていることに早晩気付く筈です。なにより、当座は失敗と判定されても、日時の経過と環境変化によって、成功と再評価される事例をよく経験します。ノーベル賞受賞でご存知の白川教授による導電性プスティックの発明は、いわば失敗の贈物でありました。

 失敗によって、自信に満ちていた核心部分を見直し、他人の意見に真剣に耳を傾け、文献や書籍を再調査し、専門家に審らかに問い、同輩と議論することで、客観的な見方を進んで取り入れるようになりますから、確率を高めて成功に向かう助走路へ再び就いたことを意味します。

 洋の東西を問わず聖職者は、世の中に生起し存在する清濁、善悪、美醜を知悉する資質が理想であるとされます。若くして出家し、所要の苦行を行なってなった聖職者は、舞姫の教導僧よろしく、老いて俗世の誘惑に「転び」易いものですが、天台宗法主の今東光老師のように、放蕩三昧の末に出家穏座すると、全てを知る安堵があります。成功も全く同様でして、失敗の肥沃な土壌に咲く大輪の花にたとえることができると思います。そして、失敗の意義を再確認できたならば、勇んで再挑戦しようではありませんか。

 

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2005年9月21日 (水)

幼児期の別離

 春秋恒例の移動の季節がまた巡ってきました。親の転勤は、一方で幼い子供に別離の辛さを経験させます。  一緒に遊んだ友だちや、親身になって育ててくれた祖父母たちと別れる悲しみ、移転先の漠然とした不安を抱く子供に対して、親たちは想い遣る余裕すらなく、眼前の煩雑な移転作業と業務引継ぎで頭が一杯で、子供の心の変化に気付かず、見過ごしてしまうようです。もうすぐ3歳になる男児を持つ長男の家庭と、同齢の女児のいる次男の家庭が近々転居することを知り、同じ年齢の長男との体験を反省を込め想い出しています。

 初孫の長男は出産から3歳になる2ヶ月前まで、都内にある祖父母〔家内の両親〕家に隣接したアパートに家族寄り添って住んでいましたが、日本社会が高度成長期に向かって漸く離陸しようとしている昭和45年になると、残業も増え職住接近の必要に迫られて、職場のある埼玉へ移転することにしました。祖父母は当時40代半ばと50代そこそこの若さでしたが、戦中戦後の苦難の時代を東北と都内を転々とする生活のもと、実子2人の育児は理想に程遠い状況にあったことの反省が背景理由にあったと思いますが、初孫の長男をまるで我が子のように熱心に育ててくれました。歩き始めてから日課の散歩は言うに及ばず、勤務留守中の昼食はいつも祖父母と一緒でしたし、帰宅の遅い父親に代わって入浴は祖父が担当してくれていました。2歳を過ぎると、祖父の小旅行に一緒することも多くなりまして、笑顔一杯でさも楽しそうな祖父と孫のツーショットが残っています。

 引越しの当日は、祖父母の愁嘆の涙と「何故、可愛い孫を連れて行ってしまうんだ」の恨み言葉に、「電車で1時間はかからないので何度も来ますから」と慰めるのが精一杯でした。転居先の新生活は、祖父母に任せていた分を併せ両親が分担しましたが、3歳の幼児が自然に獲得した順応性に大いに助けられました。

 忘れられない親子の絆を再考させてくれる場面がありました。遅く帰宅しても日課の入浴は父親が担当しました。胡坐に仰向けに乗せ、湯水が耳に入らないよう、左手で頭を支えて両耳をしっかり塞ぎ、湯を含んだスポンジを絞るようにして優しく頭を洗いましたので、自然と親子が上下に対面する形になりました。生まれてよりずっと祖父と一緒に入浴していた楽しい日々を想起している筈なのに、互いに触れないよう示し合わせているかのように、二人の間の緊張感を何とかして緩和したい幼い精一杯の想いからなのでしょうか、眼前の父親の胸に隆起した鎖骨を指差して「パパ、これなあに?」と尋ね、「骨だよ」と答える無意味な会話を繰り返していました。

 この1年後に、3年保育で入園したばかりの幼稚園を中退させ、次男が誕生して四人家族になっていましたが、再び一家で仙台に赴任することになりました。いつも親たちの都合によって、無抵抗な犠牲者となるのですが、このときも幼児の心裡に想いを馳せる配慮や努力は確かに足りなかったと反省しています。

 社会背景として、在学中に起きた激しい第一次安保騒動で殆ど授業のない状態のまま卒業したため、60年代の数年間は、いわば日本の「文化大革命」状態の暗黒時期に相当し、勉強をまるでしないままに多くの卒業生が送り出されることになりました。その一人として再勉学の渇望を持ち続けていましたので、手段を尽くしてS研究室所属の研究生として機会を得ると、万難を排し赴任することにしました。70年代になっていましたが、さすがの安保騒動も終息寸前にあって、赴任して間もなくの6月のある朝、活動家の農学部生が絶望のすえ焼身自殺する事件が大学本部前で起きたのを記憶しています。未だ混乱の余韻が随所に残る発展途上の、しかし活気のある社会でした。

 子供たちはこの後も、折角親しくなった友だちや、優しい祖父母たとも別れて、知らない土地への転居を繰り返しましたので、親子の間に意思の疎通を巡るある種の葛藤が生まれたように思います。幼児期のことと侮ることのできない深い心理作用なのでしょうが、不信感にも似たある種の感情の発露ではなかったかと思います。幼児ゆえに当座は理解されなくても、よく説明しもっと意を尽くして伝えるべきではなかったのかと回顧しています。

 この時の長男と3歳になる男児からなる家族3人は、まもなく2年間の滞欧を終え帰任することになっていますし、次男と間もなく3歳になる女児の家族3人は近日中に隣県へ転居します。子育ての小史は、親子代々綿々と繰り返され、これからも継続されていくわけですが、幼児の心理にもっと心暖かな想いを注ぎ、心配りする親の努力を切に願ってやみません。 

   

 

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2005年9月 7日 (水)

教育と社会

 社会と家庭が貧しいと、子供の手助けは当然で疑問に思うこともなく、家族全員のチームワークで家業を助ける姿がごく普通に目にする日本の庶民風景でした。戦後社会の激変と少子化から、巨大スーパーの出現に代表される商業分野の集約と寡占が進むと、廃業しサラリーマンに転身すると、子供に対する教育と両親の期待もまた大きく変化しました。ごく普通に存在した、親の後姿を見て育てる家庭内OJTは殆ど姿を消し、子供部屋でひとりゲームに興じ、携帯メールを操る子供に親が期待したのは、バブル期までは出世コースに乗ることであったのに、今はせめて非行に走らないで、できれば個性的なタレントに、可能ならばIT社長にと願うようになったのは、そもそも親自身が子供の教育をどうすればよいのか正しく判断できず、方向を見失って思考が拡散し、混迷していることに原因があるようです。

 中国の一人っ子政策は、毛沢東の失政によって生じた人口圧力に悩んだ末に採られた苦肉の国策なのですが、出生統計に表れた男女出生率のアンバランスと高齢化の進展が新たな課題として注目されています。正常な男女出生率は1.06とされおり、男児の出生が僅かに高い理由として、真偽のほどは知る由もありませんが、有史以来繰り返されてきた戦闘で死亡する男子の数を生物学的に補なおうとしているという俗説があります。最近発表された中国統計資料〔吉林大〕によると、男女出生比率は1.18になっていて、明らかに儒教的な男子優先の恣意的な意思が強く働いた結果であると推測できます。

 教育は、社会文化の向上という効果を確認するまで、一世代(30年間)相当のタイムラグを必要とするので、将来の国の文化レベルを決める重要施策であるにも係わらず、効果の見えにくい非効率な学校システムの上に乗って、ある種の社会慣行であるかのように、学校教育を中心に行なってきました。例えば「ゆとり教育」は最近になって文科省が渋々見直しに同意しましたが、文教行政の中で単純明快なこのような制度変更ですら、昭和52年〔1977〕スタートから実に28年を経過した今頃になってやっと見直される始末です。学校教育は国民の全てが参加する基幹システムであるのに、効果確認まで約30年のタイムラグを介在しなければならないために、この間に起きた社会環境の変化と当事者の交代が、当初の理念と実際の効果の検証を不十分なままに、何時までも迷走し続け、ときに回帰して、まるで波動が納まらないような不安定な状況を生み出しています。

 豊かな社会は、人々の勤労意欲、向学心、道徳観などに強い影響を与え、望ましくない方向の反作用を受けるようになりますので、衣食足りて礼節を知るようには、必ずしも社会は正しく反応し動かないことを、既に多くの事件の検証を通して周知しています。例えば、戦前教育の影響を受け家父長の大家族を体験して育った親が、豊かな社会の洗礼を受けた戦後教育の少子化の子供を、果たして"正しく"導くことができたのだろうか。この30年間の親子一世代に生起した社会変化は、過去のどの時代にも見出せないほど速いスピードの大きな振幅の複雑な変動であったし、なお進行中であるので、過去の経験則は半ば否定され、無用となって、新たな規範を求めさ迷っている状況にあります。教育論の百家争鳴です。

 出展は忘れましたが、育児の要諦は「子供に三分の飢寒を与える」ことにあるとされています。多少の無理を押し長期間に亘って、環境の落差を意識的に与えながら、子供に向上心を芽生えさせ、変革の意欲をかき立てるように導くことが、親の義務であるとする考え方です。社会環境がゆっくりと変化し擬似静的に固定と見なされる古きよき時代は既に過ぎ去り、あたかも初期条件と境界条件が絶えず変化する編微分方程式を解き続ける様に似た現代において、例えば、新薬の臨床試験のように、条件と対象を限定し短期間の効果を測定する教育効果のいわば"薬効"を検証可能な、工学的手法が採用されるべきなのです。

 30年近くを経て、「ゆとり教育は失敗」であったと認識されるようになりましたが、その検証はあまりにも無駄が多く、長時間を要してしまいました。この間に起こった子供たちの変化を見れば、取り返しの付かない貴重な「30年」を浪費したことを反省しなければならないと思います。IT時代に即した、有効な新しい手法を存分に駆使して、教育効果をもっと迅速に検証できる方法を開拓すべきではないでしょうか。

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2005年9月 3日 (土)

成功の逆襲

 ある尊敬する創業者から直接に伺って以来、座右の銘にしてきた警句 「自己の得意分野で失敗することが多い」が、何か事を為し終えたときに自然に頭に浮んできます。古より同じ主旨の諺「勝って兜の緒をしめよ」が人口に膾炙された警句として知られていますが、そこに共通する意義は「成功の逆襲」の戒めです。

 例えば、"初仕事"に成功した泥棒は、その後の"仕事"にこのうまく行ったやり方、つまりパターン化された進入方法を繰り返すので、特定され逮捕されてしまうことになります。別の例で言えば、ギャンブルにのめり込むきっかけとなる「ビギナーズラック」〔beginer's luck〕に共通な人間心理の弱点です。

 最も得意な分野は、過去の成功体験ゆえに油断し易く、不得意な分野の進出に注いだ充分な配慮と事前の準備が軽んじられた結果、心外な大失敗に至るのだと思います。騎馬戦術でずっと成功してきた"職業軍人"集団の武田軍勢が、マニュアル的に鉄砲訓練を受けた"素人"足軽集団の織田戦陣に負けた理由も、あるいはバルチック艦隊を撃破し旅順攻略に成功して教典にし学んだ日本軍が、ノモンハンからインパールまで負け続け理由も、全て過去の「成功の逆襲」に在ると見ることができます。

 成功体験は心地よい記憶であるし、他人に自慢できる輝かしい成果ですので、何度でも再現したい衝動に駆られる結果、思考の中でごく自然に定型パターン化し専用公式となります。これを回避するには、強い意識をもって、過去の成功体験を忘れ〔ときに捨てて〕、目先を大きく変え、別方向に位相を移し、未踏の地に敢えて歩みだす勇気が絶対に必要です。

 ときおり、殆ど書籍を読まない、他人の話をあまり聴かない、チャレンジしたがらない人に出会うと、不思議な気がします。知らないうちにパターン化した自己思考を修正できるのは、実はこれらの積極的な努力でしか為し得ない筈なのに、多くの機会を逃し、敢えて無視するからです。このような人は、自己経験の判断で行き詰まると、占い、手相、宗教など、およそ無関係で無責任なご宣託に頼り、ついに予見可能な末路を辿るようになります。

 プロの野球選手、サッカー選手は、どのような体力と意思の持ち主でも、輝かしいピーク期間は体力の衰えから行き詰まりを感じる三十代後半で終わることが多く、最近のスポーツニュースで報道されています。企業人であれば、まさに人生最盛期に至るときに、プロ選手は、残された長き後半生をどのように過ごすか、輝かしさの反転の重い課題を背負うことになります。予めこれあることを予見して、充分に準備した者とそうでない者との差は、その瞬間に歴然として重く圧し掛かってくることになります。このような場合も、「成功の逆襲」の戒めが必要不可欠な警句であります。いずれにしても、別な自己が現在ある自分を遠くで客観的に見ている(3D+T)構成の監視体勢が、健全な企業のみならず、自己組織において必須の思考方法なのだと思います。

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2005年9月 1日 (木)

人格と仕事

 研修、試用の期間が終わって、新入社員が最初に配属される職場先の希望を尋ねられたときに掲げる理由として、職場上司の人柄のよさが圧倒的に多い。業務が不案内なので、不安な船出の行き着く先に、厳しい上司は避け、なるべく人格円満な人の下で働きたいという思う気持ちはよく判りますが、仕事の面から見ると、必ずしも上司の人格が成果に直結しないで、その逆になる場合が多々あることに早晩気付く筈です。

 日常生活の付き合い関係で、人格円満はまことに申し分ない条件ですが、その対極にある職場は、従業員の間に発生する利害得失の衝突と調整、妥協と協調の上に成り立っている非情な人工の擬似社会ですから、人格円満な上司の下では、必然的に業務は行き詰まり、ストップしてしまいます。例えば、部下の意見をあまねく聞いて全員が納得できる行動を採ろうとすれば、上司の頭の中は混乱とカオスの思考が繰り返されるばかりで、人格円満なるがゆえに非情な決断が実行できず、極端な場合、業務停滞の事態に陥ります。しばしば採用されるこのときの上司の反応は「暫く考えてから決めよう」で代表される、引き伸ばしです。部下はこのときどうするか、大抵の場合、臨時の上司になった積りで「業務を進めるのに、かくかくしかじかの課題がありますが、このようにすればうまく解決できますので、如何でしょうか」と、まず提案同意を求める関係に変化します。さらに発展すると、「・・・・このようにすればうまく解決できそうでしたので、実施しておきました」と、実施追認型に変わり、その帰結として、やがて上司に対して公然無視が始まり、下克上が実際の形となって、最終的に組織改変へ進むことになります。

 経営学等で引き合いに出される事例に、大統領と補佐官の関係があります。形式的に大統領署名の教書ですが、内容の大部分はその補佐官苦心の作文であることが多いとされています。極端な場合、真偽のほどは判りませんが、補佐官に簒奪しようとする強い意思が働き、面白いフィクションに仕立て上げられて、TVやドラマに取り上げられることになります。日本の政治家の掲げる政策もまた然りで、秘書や官僚の役割がかなりの部分を占めている事実は周知のとおりです。最近の事例として、例えば、某知事の「パート的業務」と副知事の権勢、法務大臣の国会答弁内容と官僚の補佐など、報道で明らかにされることが多くなりました。秘書から政治家になった事例の殆どは、永年のこのような政治家と秘書の関係に変化が生じるのが動機だと言わています。

 経営組織のフラット化を進めようと盛んに喧伝され、ヒエラルキー階層を減らせば、一次情報に接する機会も多くなり、意思決定が効率的で正確になるとの認識が広まったことがあります。その後、この方向は幾らか修正されて、ある程度のフィルタリングやスクリーニング、評価を適切に行なう中間層の意義が見直されました。

 部下は、上司の仕事振り、決断の仕方、人格などを傍らでじっくりと常時観察しているものです。上司と異なる対案を密かにシミュレートし比較している部下もいます。何時までも部下でいる筈もなく、やがて階段を登り、あるいは独立して、自己実現を図るのが正常な個人の成長の姿でありますので、言い換えれば、部下が育つ正常な過程の準備であります。

 部下の成長を願っている上司かどうかは、次となる者の存在の有無と、その間の距離のとり方で判ります。意識的に距離を大きく取ろうとするのは、現地位の安泰と簒奪の予防を優先しているからであり、人格に何らかの欠陥があると考えるべきでしょう。例えが適当かどうか判りませんが、次期首相として簒奪される恐れのある有能な大臣を小泉さんは敢えて任命していません。長期政権にとって適切と考える距離を置くように人選しています。ワンマンや独裁者がよく採用する手法ですが、次は必然的に混乱と喧騒の状況になり、群雄割拠へ引き継がれることになります。現政局の混乱の主要因なのですから、無責任の謗りは免れません。

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